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カナダに来る前に、カナダの歴史を紐解いてみませんか?
今のカナダの事がもう少し判るかもしれませんよ。
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先住民 -
イヌイットとインディアン |
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アメリカ大陸には、古くから先住民と言われた人々が住んでいました。4万年前の氷河期にその頃は地続きであったシベリアからやってきた人々で、それが私たち日本人と同じアジアから移住してきた、現在でも極北に多く住むイヌイットと、アメリカ大陸に広く住むインディアンと呼ばれる人々です。
カナダではこの時代を「ファースト・ネーションズ」と呼んでいます。もちろん現在でもカナダの各地で生活する彼らの文化に触れる事が出来ます。
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フランスの進出 - フランスによる領土宣言 |
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 10世紀前後から、ヨーロッパ各地より、北欧のバイキングなど、カナダへもヨーロッパ人が訪れるようになり、コロンブスのバハマ諸島発見に続いて、1534年、イギリスのヘンリー7世が派遣したイタリア人探検家ジョン・カボットとフランス人のジャック・カルティエがガスペ半島に上陸し、カルティエがこの地で領土宣言をしたのがカナダがフランスの植民地となった始まりです。
その後、イギリスやスペインに植民地獲得で遅れを取ったフランスは、その後1603年にセントローレンス川中流域のケベックにヌーヴェル・フランスを建設し、インディアンとの毛皮交易の拠点とし、フランスは、現在のケベック州からさらにオンタリオ州、そして五大湖周辺、ミシシッピー川までの広大な範囲を植民地化していきました。
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イギリスの進出と征服-
カナダの火種 |
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現在のアメリカ合衆国へ植民地建設を加速させていたイギリスは、同様にカナダへも進出しました。1670年にハドソン・ベイ社を設立し、フランスと同様、交易活動を活発化させ、さらにフランスとの軍事的な対立が長く続いていきました。
1713年のユトレヒト条約により、ハドソン湾周辺がイギリス領となったのを始め、フランスとイギリスの対立は、最終的には1763年のパリ条約でイギリスがフランスに変わってカナダを完全に植民地化することとなりました。
現在のケベック州にフランス系カナダ人として暮らす人々は、こういった背景で現在に至っており、その後続く植民地支配が後のケベック州の独立運動の火種となっています。
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アメリカ革命 - アメリカの脅威 |
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 アメリカの独立運動の成功は、以前カナダで植民地支配を続けるイギリスと新国家アメリカの対立を引き起こし、これがカナダという国を作り上げる原因となりました。
1812年にアメリカがカナダとイギリスに宣戦布告し、英米戦争が勃発し、一時トロントを占拠されるなどした為、アメリカのカナダへの圧力への対抗策として、1841年にはキングストンを首都として、連合カナダが誕生しました。
さらに、1867年7月1日に、オタワを首都としてカナダ自治領が誕生しました。この日がカナダの独立記念日(カナダデイ)となっています。その後の植民地争いにより、現在の領土が確定し、大陸国家、カナダの誕生の元となりました。
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独立 -
アメリカの影響 |
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世界各地の植民地の独立機運を容認する形で、1932年、ウエストミンスター憲章で、オーストラリアやニュージーランドと同様に、カナダの独立も認められ、名実ともに現在のカナダが成立しました。
ただし、イギリスからの対立により、カナダはアメリカの影響を色濃く受ける国となりました。地理的にも密接した両国は、経済的にも軍事的にも非常に結びつきが強い国となりました。
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移民国家 - モザイク国家 |
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 第二次世界大戦後、カナダは人口増加の為の移民政策を強化し、世界各地から移民を受け入れ、今では、多様な国の人々がカナダで生活するようになりました。
中でもカナダ第一の都市、トロントは、人口の半分以上が移民という現実があります。オンタリオ州では、近年の人口増加の3分の2が移民によるものとなっているなど、カナダは19世紀後半より現在まで、多数の移民を受け入れてきた移民国家です。
その出身地域も多種多様で、ヨーロッパ、中南米、アジアという様々な地域からの数多くの移民を抱え、アメリカ以上に移民に開放されている国です。現在でも、ケベック州の独立問題という大きな難題と同様、多種多様の移民による民族問題という火種を抱えていますが、少なくとも、カナダという広大な美しい自然に囲まれた地域で、平和的な共存を果たしていると思います。
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